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「教育よりもスキル」を教える大学で優秀な教員は養成できるのか

第36回 学校と教員に何が起こっているのか -教育現場の働き方改革を追う-

■「教えられた通りにやること」が教員の仕事なのか

 しかし、そのように育てられた「型にはまった教員」が即戦力になっているのだろうか。ある若い教員は次のように語った。

「学校で決められたように授業を進めるし、板書も指示通りにやる。しかし、それでクラス全員が授業内容を理解できるかといえば、そんなことはありません。理解できていない子がいるのは、子どもたちの顔を見ていれば分かります。それでも、決められた時間内に決められた内容の授業をしなければならないので、そのままにするしかない。子どもたちにとってもストレスでしょうが、教員にとってもかなりのストレスになっています」

 それならば、「クラス全員が理解できる授業を、自分なりに行えばいいのではないか」と思ってしまう。そう質問すると、先の若い教員は「無理です」と即座に答えた。
「そんなことをすれば、すぐに指導が入ります。決められたルールから外れることをしたら、大変なことになります。実際にやったことはありませんが、そういう『雰囲気』があるんです。そもそも、自分なりのやり方でやるなんて、習ってきていませんから、どうやっていいのかわかりません」

 そして、不満や違和感を抱えながら「言われたことをやる」ことになる。言われたことをやっていれば、「良い先生」として評価もしてもらえる。しかし「言われたことをやる」という教員の役割が「習慣」になってしまうと、何でもやらざるをえなくなってしまう
 新型コロナウイルス感染症の予防策として教室の除菌作業が各学校で実施されているが、それをやっているのは教員だ。よくよく考えれば教室の除菌作業が教員の仕事であるはずがないのだが、「子どものため」や「学校のため」と言われると、やらざるをえない。「言われたことをやる」のが習慣になっているからだ。

 そのように「言われたことをやる」が積み重なっていくため、教員は働きすぎになってしまい、精神的にも肉体的にも限界を超えることになる。「スクラップ・アンド・ビルド」ならぬ「ビルド・アンド・ビルド」である。多くの教員は、『教育とは何か』とか『学校は何か』を考えてこなかったし、教えられてもいない。だから、何が自分の役割で、何が自分の役割でないのか、区別ができない。区別ができないから「スクラップ」ができないのだ。

「その責任は大学にもあります」と、大学教授は言った。「大学では実務教育が中心になってきています。そして、『教育とは何か』を考える学問的な部分がどんどん少なくなっている。つまり、それを考えない学生をつくり、彼らを教員として教育現場に送り込んでしまっていることになります」

 新型コロナ下の学校では、ますます「言われたことはやる」的な傾向が強まりつつある。教員の働きすぎにブレーキがかかるどころか、さらにアクセルを踏む方向に向かっている。それに流されないためには、教員が中心になって「教育とは何か」「学校とは何か」を問い直してみることが必要だと言えそうだ。もちろん、教育学部をはじめとする大学における教員養成の内容も問い直す必要がありそうだ。

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前屋 毅

まえや つよし

フリージャーナリスト。1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。『週刊ポスト』記者などを経てフリーに。教育問題と経済問題をテーマにしている。最新刊は『ほんとうの教育をとりもどす』(共栄書房)、『ブラック化する学校』(青春新書)、その他に『学校が学習塾にのみこまれる日』『シェア神話の崩壊』『グローバルスタンダードという妖怪』『日本の小さな大企業』などがある。


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